「わかること」の楽しさに魅せられて。仕事と勉強のサイクルを回す

人生100年時代。70代まで働くことを想定した場合、40代、50代はどうキャリアを築いていけばよいのでしょうか。活躍するビジネスパーソンの姿から、そのヒントを探っていきます。今回は、創業60年を超える業界の老舗企業勤務中にグロービスへ入校。その後、40代で全く業種も規模も違うベンチャーのアカツキに転職し広報として活躍を続ける鶴岡優子さんにお話をお聞きしました。(全2回、前編)

40代、初めての転職活動で老舗企業からアカツキへ

山岸:昭文社からアカツキに転職されたのが2017年、ものすごい変化で驚きました。転職したときは、40代でしたよね?

鶴岡:そう、今、47歳だから、44歳でした。初めて転職活動したから、最初は転職エージェントの活用も知らなくて(笑)。友人たちは私がベンチャーのアカツキに転職したことにびっくりしたようですが、企業やモノ、ひとの魅力を伝えるブランディング・PRの仕事の本質は変わらないんです。もちろん、はじめての業種、分野を伝えるうえでは勉強も行動も必要ですし、表面的なことだけでなく、深層を理解共感するまで伴走する時間や経験は必要ですが・・・。

アカツキは今年創業10周年を迎えます。ゲームやエンターテインメントを提供し急成長している企業ですが、若い人が活躍するエネルギー、エンタメの華やかさはありますが、思慮深く哲学的な側面もあり、感情でのつながりを大事にしています。社会ビジョンを明確にメッセージしていて、モノづくりと思考を連結させているところなど、老舗の日本企業と通じるところも多いと感じています。

山岸:外から見たら老舗出版社とベンチャーのゲーム会社とは、ハード面が結構違うように感じますが、本人にとっては変わらない。それは鶴岡さんの抽象と具体を行き来して納得する力が強いからではないかと思っています。今日は、なぜその力を得られたのか、至るまでどのようなキャリアを経てきたのか、伺っていきたいと思います。

授業を受けた夜から、翌日の実践を考える

山岸:2012年にグロービスに入学ですよね。40歳手前くらいの時。入学のきっかけは何ですか?

鶴岡:一言でいうと、危機感です。それ以前は、マーケティング、PRなどの目の前のテーマを一人で勉強すれば間に合っていました。でも、経営企画室に異動になってから、ヒト・モノ・カネを全部理解していないと適切なオプションすら出せない。モノを作る、売る分野だけでベテランになってもダメなんだと、自分の引き出しの少なさに愕然として。それで体験クラスに駆け込んだら、全然発言できないし、論理立てて考えることもできなくて、「勉強しないとまずい」と思って、すぐに入学を決めました。

山岸:昭文社の中で初めて課長になった女性が鶴岡さんですよね。

鶴岡:そう最年少で女性。最年少といっても29とかそれぐらいのときだから、遅いんですけどね。

山岸:会社の中では、ある意味自分が最前線。それから10年くらいたってグロービスに来られるわけですが、その時はどういう目標を持っていましたか。

鶴岡:その時は経営企画にいて、業績を改善すること、ビジョンや事業の変革がメインでした。入社後、出版事業より新規事業を中心にキャリアを積んできて、30代で出版のマーケティング、新刊のプランニング、企業ブランディングをやって、経営企画という流れでした。出版業界全体がデジタル化の波で変革を迫られていましたから、入社直後から「変革」はいつでも大きなビジネスイシューでした。新規事業は役員直下なことが多く、若い頃から経営課題をいつも身近に感じてました。会社そのもの、地図や出版の文化も、仲間も好きでしたが、業界の危機感や責任感から自分と会社が一体化してしまったという表現のほうが近いと思います。

山岸:会社への想いは、授業でも感じられました。印象深く覚えているのは、私自身は授業の内容を理解することに必死なとき、鶴岡さんは学んだことを自分なりに解釈した上で、自社の分析や今後のアクションプランをクラス前にプレゼンテーションしていたこと。別次元にいるな、と思いました。(注:鶴岡さんと山岸はグロービス経営大学院のクラスメイト)

鶴岡:わかること、学ぶこと、またわからないことが見つかることが、純粋に楽しかったんです。自社課題をなんとかしようと学びに行ったんですけど、異業種の仲間との出会い、国内外の幅広い企業のケースを通じて、視野が一気に広がったのも驚くほど楽しかった。内からの狭い視点で自社に危機感を持っているだけじゃダメなんだと、社外に出て、異種格闘技みたいなクラスでガツンとされたことが、ものすごく気持ちよかったんです。

よく「学んだら次の日に実行しろ」と言いますよね。夜のクラスで勉強したことは翌日すぐ使いたいから、授業中に「うちの会社に当てはめるとこうだ」とメモして、授業が終わった瞬間、「明日何やろうかな」と。学びと実践のサイクルを回していました。

本当に無駄が一切ないくらい、グロービスを使って仕事をしてました(笑)。経営企画の時も、その後に立ち上げた新規事業(訪日インバウンドメディア『DiGJAPAN!』)の時も。授業中に構想を描いたし、クラスメイトと仕事もしましたし。

「会社と自分の一体化」を変えるきっかけ

山岸:大学院在学中、授業に来なくなった時が一度だけありましたよね。

鶴岡:実はその時、経営企画が解散になり、新規事業を任されることになって、自分のキャリアに迷ってた頃なんです。頭の中に「変革と創造」の強烈な2軸があって、自分は経営企画の「変革」軸にいると思い込んでいたので、なんでまた新規事業なのか、と受け入れられなかったんです。今から思えば会社の判断は正しくて、私当時、経営企画でたいしてバリュー出せてなかったんです。気持ちだけは愛社精神で、手を動かしてるつもりでしたけど。

授業で習ったことは経営企画の仕事で実践していったんですけど、本質的な問題解決につなげ切れてなかった。たとえば常に7Sが頭の中にあって、それを整合させたい感覚で、フレームワークの「整合病」にかかっていました。手をつけやすい課題から取り組んでいるところもあって、衝突を恐れて根本的な自社否定からの問いをぶつけることもできてなかった。それなのに、異動を自分が否定されたみたいに思っていたんですから、今思えばものすごく恥ずかしいことなんですけど。

自分が否定されたと感じた背景には、ヒトモノカネを学んだから経営企画をやりたいという自己中心的なしがみつきと、事業部に戻ることの怖さがあったんだと思います。それまでは、社長室の横のオフィスで、億単位で0.80と0.85でどれだけ変わるかExcelでコスト削減するような仕事をしていたので、「じゃあ、お前が現場で稼いでみろよ」と言われた気がして単純にビビったんだと思います。

山岸:今、振り返るとそれはどういう体験になりましたか。

鶴岡:今、思えば、あのタイミングで経営企画から事業に戻って本当によかったです。勘違いしたまま、経営企画で突っ走らないでよかった。勘違いというのは、責任感とか愛社精神の使い方の大いなる勘違いとか、自分の本当の実力や強み、やりたいことも理解できてない甘さとか。本当に、恥ずかしい限りですけど。

山岸:あれだけ想い入れのあった仕事に対して、そう考えて納得できるのは本当にすごいと思います。そこで気持ちを新規事業に切り替えた後、どのように過ごしていましたか。

鶴岡:それが、「仕方ない、新規事業やるか!」と切り替えたら、めちゃくちゃ楽しかったんです。ゼロからのスタートなんですが、意外にもワクワクしかなかった。「おー、久しぶりだ、立ち上げ!」って感覚で。ゼロイチの立ち上げは好きですし、頭も身体もよく動くんです。アジア女子向けの「訪日外国人観光向けのナンバーワンメディアをつくる」という志にアップデートしたんですが、「自分が日本の魅力を広報するんだ」と考えたら、企業変革の志より自分にビタッとはまって。

そこから、日本各地の自治体を回らせてもらったり、外国人にPRしたいメーカーさんのご協力もいただいて、「DiGJAPAN!」というメディアをつくりました。アジア女子のインサイトを見つけてヒットさせ、それをBtoBのソリューション化するのは得意な領域だったなと、後から自分の強みを思い出した感じでした。

「DiGJAPAN!」は、グロービスを最大限活用しています。「ネットビジネス戦略」のクラス(現在は別のクラスと統合)の授業6回を通してひたすらDiGのプランニングをしていました。仕事が先なのか、勉強に触発されて仕事側が動いているのかよく分からないのですが、いつもシンクロしていたように思います。

山岸:事業部で、自分自身で稼ぐというのは、どういう心境でしたか。

鶴岡:忘れもしない、最初の売り上げは10万円でした。この10万円は本当に……血の通った10万円でした。イチからの立ち上げで最初の売上が作れずに困っていたときに、あすか会議のご縁でクライアントを紹介してもらって。紹介していただいた方の信頼や、立ち上げたばかりのソリューションを使ってくれることへの感謝で、絶対に10万円以上の価値をつけて返す!損はさせない!と思いました。結果、台湾やタイに向けて効果的なプロモーションすることができたのですが、動画再生回数などの数字が売上になっていくことの手応え、自分の顔と名前で商売していくことの怖さ、信頼とやりがいを痛感しました。(後編に続く)

(文=渡辺清乃)

RELATED CONTENTS